こうして数々の問題点や条件をクリアし、記念すべき教育プロレス第一校目の開催が決定した。その日から各報道機関や役場などへ「授業の一環でプロレスを開催!」と報告及び説明に時間を費やすこととなる。実はこの「教育プロレス」、現在はこの名称で特許庁商標登録されているが、当初は「教育のための授業プロレス」と銘打っていた。後に訪問した小学校の校長の意見で「授業」の部分を取り外したのだが、このことについてはまた改めて詳しく話すことにする。
開催数日前…地元八代市の教育会館事務局をお借りし、スタッフを集め、最終ミーティングを行った。児童に対する教育的(気づいておいてほしい)キーワードを出し合い、試合の前後にどう組み込んで表現するかなどを細かく話し合った上で、最後に数あるタブーの中でも特に場外戦と流血戦だけは絶対にさせないようにレフェリーに釘を刺した。これらのシーンは地元TV局により後日特集でオンエアされた。
さて、いよいよ開催前日…トラックにリングを積み込むべく一人道場でリングを解体している時にその事件は起こった。
いや、やっちまった!!
つづく